「似合う服はある程度チャラく見える」について。「チャラい」はダサい?

ファッションについて

チャラく見えてしまう服装があると思う。
僕にはこれが確かにある。

この「チャラさ」はダサいのか。
それとも、多少なりとも似合っているから、チャラさが出るのか。

僕のチャラさ

僕がチャラく見えるのは、黒シャツである。
黒シャツが好きでよく着るので、何度か記事でも取り上げている。

チャラさのジャンルを言うのなら、ホストっぽさ。
とは言っても、程々。
いかにもな感じではない。
黒シャツ自体にも、このチャラさはあるのだが、僕自身にも多少なりともあるのだろう。
顔つきやら、雰囲気など。

この“チャラさ”はダサいのか。
僕はずっとダサいと思っていたのだが、最近はそうではないこともあると考えている。

似合ってるからこその?

このチャラさは、多少なりとも、似合ってるからこそではないかと考え始めた。
これを理由に着なくなったこともあるのだが、「これが自分だ」と。

似合ってなければ、当然ただダサいだけである。
着せられたチャラさは、田舎臭さを感じる服装にもなる。
黒シャツが似合わなければどうなるかといえば、チャラいとは真逆の地味な印象にだってなる。

僕が言いたいことは、このチャラさも自身の持つ個性のなのだと。
自分の雰囲気を活かすような服装をするのならば、このチャラさもアリかなと思い始めたのだった。

他のチャラさ

他にも思い当たることがあった。
学生時代の友人である。

僕が学生の頃は、チノパンをオーバーサイズで穿くのが人気だった。
ヤンチャな人は、それをさらに腰パンで履いてた。
僕の友人がそうであった。

似合わなければ、ただただダサく、だらしない。
しかし、友人はヤンチャな感じに仕上がり、いかつい感じのチャラさがあった。
これは、似合ってるからではないかと。

最後に

チャラい服装は確かにある。
しかし、そのチャラさは似合う人が着ないと、印象には表れない。

このチャラさをダサいと取るかは、好みの問題もある。
ド真面目な感じであったり、爽やかな印象の服装は、僕は好まない。
こういった服装を好む人からすれば、「チャラい」印象の服装なんて言うのはありえないのだろう。

僕の今の考えとしては、チャラいからダサいとは限らない。
自分自身が持つ雰囲気を存分に活かした服装かもしれないからだ。
トレンドの服を着るだけの簡単なお洒落とは、訳が違う。