「周りと差をつける!」は間違い?その必要性について考える

ファッションについて

お洒落をする上で、よく言うのが「周りと差をつけたい!」というもの。
確かに、普通とは少し違うのがお洒落だ。

しかし、わざわざ、そこを狙っていく必要はあるのか。
結果として、ついてくるのが「周りと差」ではないか。

「周りと違う」はお洒落

周りと違う服装は、お洒落だ。
差がついてるから。
少しダサいくらいのほうが、お洒落にも見えたりする。

差の対象は、量産型ファッションなのだろうか。
「俺は違うんだ」と。
量産型ファッションと言われる服装も、お洒落ではあると思う。
が、量産型と言われるだけあって、差はないに等しい。

確かに、差がついてるほうがお洒落である。
しかし、あまりにもそこにこだわってるのは、何だかダサい。

「周りと差をつけたい!」は違う?

そこを狙っていくのは違う気がして。
「周りと差をつけるために、俺は個性派でいく!」みたいなの。
僕もこういった考えの時期はあったが、今は違うと考えている。
この考えはダサいんじゃないかなとも思う。

周りと違うのがお洒落だけど、そこを狙ってくのは違う。
周りと差をつけることを意識するのがダサい。

でも、周りと差がある服装がお洒落。
どうするか。

後からついてくるのが差

差はつけるのでなく、ついてくる。
好きな服、カッコいいと思う服を、こだわり持って着てれば、周りとの差は自然とついてくる。

「差をつけたい」と、意識する気持ちはよくわかる。
僕なんかも、例えば、マーチンの3ホールを履かないようになったり。
売ってしまった。
いや、好きなら履けよって。
周りを意識し過ぎ。
大学生とマーチンが被るより、こういった意識がダサい。

ウケだとかも含めて、周りを意識してない人が、周りと差がついてる人。
普通とは少し違ったお洒落に見える人は、本当に服が好きな人だと思う。

最後に

好きな服、あとは似合う服。
服のことを、どれだけ考えてるか。
結局、服が好きかどうか。

僕自身、周りと被らないようにすることばかりに、意識が向いていた。
マーチンは8ホールが一番好きなんだけど、これすら履かなかった時期も。
意識し過ぎ。
もう10年近く貫いてるんだから、気にすんなよ、そんなこと。

余計なことは考えずに、好きな服のことだけ考えればいい。